沖縄歴史散歩


中城城跡公園について

沖縄の世界文化遺産といえば首里城があまりに有名ですが、実はで世界遺産に登録されているのはここだけではありません。このほかにも8箇所が登録されています。その中でも、最も広大で、最も眺望もよく、最も神秘的で、最もミステリアスなのが中城城跡です。場所は、米軍の普天間飛行場とは反対側の沖縄本島東海岸を望む山の山頂にあります。標高160mある山頂の城の石垣の上に立つと、東側に太平洋、西側に東シナ海を見渡すことが出来ます。
この城は15世紀に琉球王国・尚泰久王の重臣だった護佐丸の城で、敵対する勝連城の阿麻和利に対抗する城として整備されました。
しかし尚泰久王が阿麻和利と姻戚を結び、阿麻和利の謀略で、護佐丸は謀反の罪を着せられ、朝敵となってしまい、せまる王軍を前に自害しました。それ以降は琉球国王の世子の採地となりました。

幕末、かのペリー提督も強固な城の石造建築技術を賞賛したといわれています。維新後は学校や村役場として利用されていましたが、大東亜戦争沖縄戦にて空襲にあい、城壁や城門を残し全てが焼失してしまいました。占領下の沖縄で終戦5年後には、米軍から民間に引き渡され、中城城跡公園となって以降は順次修復され、沖縄本土復帰とともに国指定の史跡となったのです。現在では日本の城100選にも選ばれています。また城跡の隣には30年来のホテルの廃墟があり、それもいっそうミステリアスさを盛り立てます。

勝連城跡について

勝連城跡は、沖縄県うるま市にある城(グスク)です。その歴史は沖縄の城の中でも最も古く、12世紀頃と伝えられています。1972年5月に国の史跡に指定され、また2000年12月には『琉球王国のグスク及び関連遺産群』の一つとして首里城跡や中城などとともに他7つの文化財とともにユネスコ世界遺産登録されています。

那覇空港からの所要時間は、車でおよそ1時間半、沖縄自動車道を使用すれば約1時間です。見学時間は決まっておらず、いつでも自由に見学ができます。入場料も不要です。しかし照明などの設備は一切ないため、日没後・夜間の見学には注意が必要です。

そばに無料駐車場があり、敷地内には無料休憩所が併設されていますので、休憩に立ち寄るのもよいでしょう。食べ物の販売はありませんが、休憩所への持ち込みはOKです。

休憩所ではトイレ・休憩スペースが利用できるほか、勝連城跡やうるま市内の遺跡から出土した遺物が展示されています。駐車場・休憩時間の利用時間は午前9時~午後6時、年中無休(年末年始を除く)です。この城は小高い丘の上に位置しています。城まであまり整備されていない坂・階段を登る必要がありますので、訪れる際にはスニーカーなどの歩きやすい靴がおすすめです。

城からは、北は金武湾を囲む北部の山々やうるま市の離島を、南は知念半島や久高島・護佐丸の居城であった中城城跡が一望できます。
晴れた日には絶好の景勝スポットとなるでしょう。

首里城について

琉球王国を象徴する建物です。かつて琉球の時代に、政治、文化、外交、祭礼の場として利用されていました。建てられたのは14世紀末初め~中期あたり、といわれています。沖縄戦によって一度消失しましたが、1992年に本土復帰20周年を期に復元されました。2000年には世界遺産に登録されています。主なスポットとしては、まず守礼門があります。首里城へと進む道を登っていくと最初に見えてきます。この門は中国の牌桜という様式で構築され、首里城にある門のなかでも最も凝ったデザインとなっています。

 

なおこの門はかつて二千円札紙幣に採用されました。次のスポットは歓会門です。この門はかつて一行を歓迎するという意味がありました。また門周辺の石を積んだ壁を観察すると、その色の違いから戦前のものも含まれていることがわかります。次は漏刻門です。「漏刻」は中国の言葉で「水時計」といいます。この門のやぐらには水槽が置かれており、そこから水が落ちてくる分量で時間を把握した、と言われています。かつてこの門で時間を計った後に、城内の各所にある時報の鐘を鳴らしていました。いよいよ首里城の門を抜けると、御庭が広がっています。紅白に色分けされた地面は、参列時に地位によって分けるために設けられたものです。正殿に向かう赤い道は「浮道」といい、国王などの限られた人だけが通ることを許可されていた道です。